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A面 『ブラック・スワン』 ちょっとしたN・ポートマンvsW・ライダーの子役出身対決

トゥーシューズが縫われ、恐らく使用者のであろう足にあわせて形が整えられていく。新品とおぼしき靴底には刃物で傷が付けられる。粛々と、しかし息づかいを感じさせる様に、一つの無機物に刻々と生命が刻み込まれていき、観客はその呼吸に自らのそれを重ね合わせる。前作『レスラー』でも使用された、アロノフスキーの「痛み」を使用したリアリティの共有は、この『ブラック・スワン』でも冒頭の針(刺す)と刃物(傷つける)の使用により効力を発揮した。それで十分だった。ほんの一さじのリアリティがあれば良い。それだけで物語は俄然説得力を帯びるのだ(また逆も然りだが)。更に彼は、物語の進行と共に大胆にではなく細かに主人公ニナの肉体を壊していく。指のささくれ、深爪に爪割れ、そして掻き毟った肌、その肉体のダメージはあまりにも観客に見に覚えがあるものばかりだ。擦りガラスを引っかいた音を聞く様に、精神に鳥肌が立つ。何よりも壊れていくのはあのナタリー・ポートマンである。美しい容姿にハーバード卒の教養、ボランティア活動とエコ活動にまで熱を入れるという、才色兼備の優等生だ。そんな彼女がブラックスワンになる為の自己破壊的な努力は、芸術に身を投じるにはこれほどまでに自分を差し出さなければならないのかと観客の息を呑ませ、優等生が崩壊する様は尋常ではない緊張感を劇中に漂わせる。果たして、狂気に足を踏み入れてまで完成させた彼女の「完璧な」演技は、栄光の拍手を舞台の観客から、悲痛な眼差しを映画の観客から浴びることとなる。

ひたすら息苦しいこの作品で、芸術のために魂を削り取った人々を描いたアロノフスキー、しかし彼へのインタビューはまた違った視点を我々に提供してくれる。

「僕に言わせれば、メソッドアクター(カットがかかっても役に浸りきる役者)はナンセンスだ。所詮、演技なんだよ。カメラが回り始めたらスイッチをオンにすればいいだけのこと」

……なんとも軽快なフットワークではないか。

http://movies2.foxjapan.com/blackswan/

http://www.youtube.com/watch?v=wKVHm-hFmB0
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