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『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』 実写になるとどう頑張ってもコスがダサいマグ二ートー様

塩ビのフィギュアを持った子供達が遊んでいる。フィギュアのポーズも色も既に決められているが、子供達は独自の世界設定で物語を創りキャラクターの台詞をはく。『X-MEN ファーストジェネレーション』はそんなごっこ遊びを大人がやったような映画だった。「X-MEN」という長年アメリカで親しまれた、それこそ多くの作家が介入し手垢のついたコミックを、設定を壊すことなく、しかし出来る限り大人の知恵を振り絞ってリアルな物語にする。その最大限の工夫はそれを例えにしたが、ごっこ遊びの範疇を遙かに越えていた。その業には近年コミックの実写映画化を乱発している日本の映画界に是非とも見習ってほしい所である(ドラゴンボールは失敗したけれど)。キューバ危機という人類を滅亡の一歩手前まで追いこんだ事件が、実は少数の悪のミュータントによって起こされたという話なのだが、国家間の対立には凡そ入り込む余地のない個人個人の葛藤が、兵器並の力持つミュータントが橋渡しとなって巧く物語りに組み込まれているのだ。
劇場予告では「「邪悪」と「正義」は分かれてはいなかった」とナレーションが入っているが、観客は映画館を出た後に自問するだろう。では「正義」と「悪」とは何なのだろう、と。映画の構成上、都合の良い悪役こそ存在したが、チャールズ(後のプロフェッサーX)、エリック(後のマグニートー)、そしてアメリカ軍とソ連軍はそれなりの行動の根拠を持っていた。人類がミュータント達を攻撃する決断さえ、彼らが少人数でキューバ危機を起こした存在だったからこそなのだ。
人類に報復を始めるエリックに、裕福な家庭で育ったチャールズは言う。
「あの戦艦に乗っているのは善良な兵隊達だ。彼らは命令に従っただけ、何も知らないんだ」
しかしナチスに両親を殺されたエリックは言う。
「そういう奴らが俺を虐げた」
同じ宿命を背負いながらも、違う環境に生きた二人だった。お互いに「友」と呼び合いながら、彼らは袂を分かつ。一体、私達がミスティークやビーストと同じ立場だったならば、どのような選択が出来ただろうか。当初は巡り会ったことに喜び合い言葉を交わした彼らミュータント達は、異端であることを誇りに思うか戸惑うかの違いに端を発し、今回以降の二部作で命を賭した闘いを繰り広げることとなってしまう。後付的な要素が強いが、上手く先のシリーズの前日談として説得力のある映画である。
この世の何が御し難いか、それは間違った者と正しい者が争うからではない。まさにこの映画が描くように、そうせざるを得なかった者達同士が争うからだ。映画を鑑賞した後、エリックに看破された「そういう奴ら」である観客達は、実在しないミュータント達に思いを馳せながらこの世界での選択することの難しさ不条理さを痛感するのではないだろうか。

http://www.youtube.com/watch?v=RtN-_mHntrQ

http://movies2.foxjapan.com/xmen-fg/

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