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甘詰留太とその作家性

甘詰留太はガチである、と言っておこう。この作家に関しては、ヤングアニマルやヤングキングなどの青年誌にも作品が掲載されて久しいので、名前は知らずとも絵を観れば思い当たる人間も多いのではないだろうか。まぁ絵柄やきわどい格好の女の子が多数目に付くことから察しがつくように、元来甘詰はエロ漫画家だ。しかし、彼の作品をそこらへんに転がっている有象無象の、ティッシュのごとき使い捨てのエロ漫画と同一に考えているのならば、あなたは人生の10分の1を損しているといってもいいのである(いや分母はもっともっと高いかもしれないし、知ったところで得をするわけでもない)。
甘詰を印象づける作品としては、まずは2001年に刊行された彼の短編集『満子』(成人コミック)を挙げるのが適切であろう。登場するからまれ役の女性キャラクターが「満子」で統一されたこの短編集は、一話目の『豚汁』からぶっ飛んでいる。物語の舞台が少年院ということで女性が全く登場しない場所のはずなのだが、甘詰はここでとんだウルトラCをぶちかます。なんと少年院で飼育されている豚を擬人化してからみのシーンを創り出したのだ。

え……なんで?

いや、おおかた少年院に収監されている少年達が、溜まった性欲を豚で解消しているというような都市伝説を聞いたのだろうが、しかしそれにしたってそんなことをする必然性が無さすぎる。いくらエロティックに描こうとも豚は豚なのだ。漫画描写的には少女だが、行為に及ぶ少年達には明らかに豚に見えているし、何より少女達は鳴き声しか発しない。そして最終的に少年達の行為は刑務官が目撃するところとなり、豚は処分されて少年達の夕食に、豚汁となって出てきてしまうのである。物語は一際豚達を可愛がっていた少年が、愛ゆえに「彼女達」を独り占めしようと、豚汁を嘔吐しつつも一人でかき込みたいらげたという説明で幕を閉じる。なんとも読後感の悪さばかりが際だつ作品だ。なぜ甘詰はこんなエロ漫画としての用途を度外視したような短編を描いたのだろうか?その答えは巻末の作者あとがきに明るい。甘詰はそこでこう綴っている。
「鬼の形相で物を食う男という微妙に間抜けで迫力のあるシーンを思いついたから」
SN3P00160001.jpgSN3P00170001.jpgまた「焼きうどん~」に見られる「父と娘のセックスをただ見せられる主人公」と巻中の『川音』の「田舎の渓流で少年達が白痴美人の少女を輪姦する様を茂みから覗き見しながら、その仲間に加われずに興奮しまくる主人公」という、妄想をいくら膨らませてもセックスできない、童貞を拗らせた作家のエッセンスを濃縮したような短編の数々は、自身の中の闇=童貞性を積極的に凝視することによって初めて描き得た作品だ。勿論こんな甘詰の恥部を晒されたところで、大凡我々は得するところなどはない。何より間違いなくオナニーなどは出来ない。それどころか作家の体液を当てつけられたような不快感を感じるだけなのだ。まるで当てこすりのピンポンダッシュ、人の家の塀にクソを投げつけるが如き所業である。
しかし、オカズにするために男性を徹底に排除し(エアファック、触手etc)、同時にエロのネタ化がトレンドであるエロ漫画界において、この甘詰の存在は救いであるともいえる。前者はひたすら閉じた輪の中で自己完結的な自慰行為のオカズとなり、後者はネタにして距離をとって、さも開いているかのような装いをする。そんな戯画化したエロが跋扈する中、甘詰はそれら紛い物とは一線を画している。再度言おう、甘詰留太はガチなのだ。上述したように、こっ恥ずかしくて凡百な人間が凝視出来ないような恥部やコンプレックスに対しがっぷり四つに組んでしまう甘詰、その作品には、本来のエロ漫画とは読んでて恥ずかしいものであるという後ろめたさを読者に想起させる力がある。もちろん、距離を置いてみれば甘詰も他の多くのエロ漫画家の作品も妄想の産物にすぎない。だが、その妄想にどれほど自分の「童貞」を動員し、自分にとって真実にしているかが、甘詰という作家際立たせているのだ。ガチンコで人間の内面に迫り、作中に多くのモノローグの為のスペースを割く甘詰のスタイルは、セックスシーンのないはずの『ナナとカオル』(ヤングアニマル連載)の登場人物の台詞の一つ一つに臭気を帯びた湿気を与え、それは剥き出しの性器を如才なく描くよりも遙かに卑猥で読者は甘詰の本を読んでいるという自意識自体に耐えられなくなってしまうほどだ。甘詰に比べれば、成人漫画雑誌に一話くらいは必ずお目にかかるであろう「でっかいおち○ぽ気持ちい~~」だとか、脳味噌のネジをマ○コに置き忘れてきたような台詞などは遥かに稚拙なのだが、そうであるが故に甘詰の本はベッドの下どころではなく、厳重に、母親に決して見つかることなく保管しておかなければならないし、「鳴子ハナハルって絵が綺麗だよね」だとか、エロ漫画に理解を示しているようなサブカルガールであろうとも、甘詰の作品を真面目に読んでいる男などはちょっとご遠慮したくなることは間違いない。
この『満子』以降の単行本でも甘詰の拗れた童貞という病は留まるところを知らず、 2003年に刊行された『キミの名を呼べば』に収録された同題名のメインの短編と『エンジェリックハウル』にも「セックスをしてしまったが故に喪失をしてしまった」主人公というのが、これまたモノローグたっぷりに登場する。どうやら甘詰にしてみれば、セックスは単なるエンターテイメントではなく、一つの喪失であり自身の一部が損なわれるということであり、決してお気楽極楽なものではないようだ。なにか、作家はよほど屈折した童貞時代と性体験を経てきたのだろう。しかし、「気になるあの娘の気持ちを確かめるためにレイプしてみたら両思いだったのでこれから付き合いますめでたしめでたし」などという、世界崩壊のカウントダウンが聞こえてきそうな話が平然と雑誌に掲載される昨今においては、他者との付き合い、そして一つになることの如何ともしがたさに真っ向から向き合う甘詰の態度が、実は誠実であるということが分かるのではないだろうか。
SN3P00150001.jpg
人と人との間に生じる恥部と暗部を改めてエロに結びつけ、エロを消費することへの後ろめたさを復興させる甘詰。それは決して、読者にエロが悪徳なのだということを意識させたいからではない。敢えてそうすることによってこそ、その先には更なる愉悦が生まれるからに他ならないからだ。この魂を汚しながらの自慰行為のために、作家は意識的にか否か、身を削りながら漫画を執筆しているようにさえ感じられる。ある者はその作品への共感ゆえに病んだ微熱を下腹部に感じ、またある者は嫌悪感ゆえに蔑んだ視線を甘詰の作品に放つだろう。だが、その何れの感覚も作家の望むところなのではないだろうか。荒れたファンの吐息を想像し興奮し、冷えたアンチの侮蔑を妄想し再度興奮する、それが甘詰という作家に他ならないからだ。
甘詰留太の作品を読了した後、貴方はエロ漫画が単なる自慰行為のオカズだけではない、別の可能性を持ったジャンルだということに気づくだろう。もちろん、気づいたところでどうという事でもないのだが。

※勝手な偏見が過ぎているのは重々承知です。


キミの名を呼べば (MUJIN COMICS)

キミの名を呼べば (MUJIN COMICS)

  • 作者: 甘詰 留太
  • 出版社/メーカー: ティーアイネット
  • 発売日: 2003/10/03
  • メディア: コミック



満子 (MUJIN COMICS)

満子 (MUJIN COMICS)

  • 作者: 甘詰 留太
  • 出版社/メーカー: ティーアイネット
  • 発売日: 2001/06
  • メディア: コミック



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コメント 2

まきき

やはり作者の人間性と作品は
別物とはいかない...ものでしょうか?
本性は隠せないのか。
by まきき (2011-08-31 09:54) 

speckled_monkey

>まきき
ジャンルやアプローチによっては隠せないと思います。今回取り上げた作家のように人間の内面に深く迫ろうとすると、当然のことながら人は他人の中には入れないので、自分の内に内にと入り込みそれを表現することになると思います。物語の構造で表現する人はそういうことはないのではないでしょうか。
by speckled_monkey (2011-08-31 19:17) 

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