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『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』/It's a Man's Man's Man's World

 男達は皆故郷を、帰る場所を失った。ピートは不法移民の友の「死んだら故郷のヒメネスに埋めてくれ」という約束のため法を犯してお尋ね者となり、メルキアデスを殺害したマイクも旅の途中、身勝手な大きい子供から大人の男に成長するものの、留守中に妻に愛想をつかされ帰る家を失っていた。そしてなにより約束の張本人たるメルキアデスに至っては、元々帰る故郷など存在しなかった。身寄りのない土地での孤独をやり過ごすため、偽りの美しい故郷・ヒメネスを胸に生き続ける流浪人、それがメルキアデスだったのだ。つまり皮肉なことに男達は、メルキアデスの存在しない故郷を探して、そして自分達の帰る場所を失うのである。文面にするとなんとも遣る瀬のない話であるが、そんな男が失う帰る場所もまた決してきらびやかなものではない。アメリカ人のメンタリティーを象徴するテキサスの国境沿い、だがT・L・ジョーンズが切り取った「アメリカ」は海外ドラマが映し出すような都市の華やかさなどとは程遠く、その乾燥地帯ではデブのババアが日光浴でその体を公衆に晒し、レクリエーションといえば白い肌のたるんだオッサンとオバハンの不倫のローテーションくらいしかなく、かつてプラムのクイーンだった女は昼ドラにハマリ、ダイエットと称して晩飯はズッキーニだとぬかす始末だった。その鬱屈したクソつまらなく、しかしリアリティのある「アメリカ」には多くの人が不快感を覚えることだろう。そしてまた、そこに残された女達も彼らの帰りを待ってなどはいなかった。ピートのセフレのメリッサ・レオは、あの愛が演技だったことをはぐらかし、マイクの女房は長距離バスに乗り、祖国にすら居場所がなかったメルキアデスは言わずもがなだ。そこには男女のロマンスによる癒しなどもやはり存在せず、ただ拠り所を失う男達の苦さばかりが漂い続ける。
 しかし、それでも尚も、あらゆる崇高さや救いなど一切ない世界でありながらも、この物語の結末は絶望に落ちることはない。旅の末、荒野の廃墟に立ち尽くしたピートは言う。
「ここがヒメネスなんだ。そうあるべきなんだ……そうだろう?」
 銃で脅され旅に無理やり同伴させられた、馬鹿な白人男の標本だったようなマイクは、一筋の涙で頬を濡らしながらそれに頷く。ピートの「should be(そうあるべきだ)」という言葉には、それほどに儚くも重くのしかかるものがあったからだ。それを人は愚かしい意地と呼ぶかもしれない、惨めな開き直りだと捉えるかもしれない、しかしマイクが涙を流さずにいられなかったのは、そしてその言葉が見る者の胸を穿つのは、それがあらゆるものを捨象した後、最後に残り浮き彫りになった純粋な男の矜持だからではないだろうか。
 男が男であるために必要なのは、財産を守る強い腕っぷしでも女を喜ばせる太い男根でもない、朽ち果てていく友に寄り添うため眉間にほんの一筋の皺を寄せる力、それさえあれば、男は荒野に立ち、ひび割れた大地に水を撒くことができるのだ。劇中一度も激情を顕さなかった男の、その顔に刻み込まれた深い陰影が雄弁にそれを物語っていた。





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