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思い出し日記②夢つき

 一人の男がいた。そいつはパーラメントの香りを身にまとい、ドングリのように丸々とした太い眼光でこちらをじっと見据え、時代と場所を超えた壮大な物語を、その口から流れるように話し続けた。
 僕の職場の先輩Fさん、彼は湘南の生活に憧れたという理由で生まれ故郷の沖縄を後にし、某有名私大に受かった後は学費と生活費を稼ぐため、バーで出会った女の相談を聞くフリをしながら風呂に沈むよう誘導しその上前をいただき、しかしその大学は中退してバッグパッカーで世界を旅行し、アメリカ滞在時にヤンキーに絡まれた際には仲間と空手の構えをとって「アチョー!」と叫んだだけでそのヤンキー共を屈服させ今ではそいつらと飲み仲間、ちなみにそのヤンキーの一人はジェロと親戚、日本に帰国した後は愛しさと切なさと心強さをいつも感じている女優と飲み仲間になり水曜の加減を伺ってる俳優とは気さくに話し合う仲、あとレミオロメンの「3月9日」は彼の従兄弟の結婚式のために作られたのだという。彼はまさに人生そのものがグレート・ジャーニーのような男だった。

 まぁ、全部嘘なのだけど。

 彼の言ったことの何から何までが嘘なのかは分からない。しかし学歴はおろか、家族構成、生まれ故郷をも偽っていた彼は、もしかしたら自分ですら何が嘘か分からなくなっていたのかもしれない。同僚は言う。
「あいつは病気だよ」
「虚言癖というやつだ」
 最初は興味深く彼の話を聞いていた職場の新人たちも、やがては彼の発言のつじつまの合わなさに気づき離れていく。彼は次第に孤立していった。
 しかしここで一つのことを問いたくもなる。嘘というのは、罪なのだろうか?もちろん、人を騙すのは不誠実ではあろう。しかし彼の嘘のように嘘と分かりきって聞く嘘、それはいわゆるフィクションと呼ぶべきものではないか。

 僕は思う、彼は嘘つきじゃなかった、夢つきだったのだと。職場で暇な時間、僕は彼と世界中を旅行した。チベットの鳥葬、聞いたことのない言語学の学説、彼の話術は堂に入っていて、その空間には凄まじいリアリティがあった。テレビ番組や映画の話しなどをする時には、例えこちらも同じものを見ていたとしても、彼から聞く脚色の入った話しの方がより魅力的で面白かった。

 嘘か本当か白か黒か1か0か、法律番組が流行り訴訟件数が増える中、時代が求めているのはそんな結論なのかもしれない。しかし、ほら吹き男爵ミュンヘハウゼン侯がいた時代のように、そいういった人々が憎まれず、むしろ愛されてしまうような、底抜けにおおらかな時代と場所が、かつてこの世界のどこかにはあったはずだ。そしてなにより、そんな境界線の狭間でこそ、文化というものは生まれ続けてきたのではないか。自分の生まれてもいない時代に思いを馳せても仕方がないが、何だか段々と、この国がフィクションを本気で楽しみながらも現実と区別する器用さを失いつつあり、結果冗談さえも分からなくなってくるのではないか。ノイジーマイノリティが力を持ち、表現規制が進む昨今、そんな一抹の不安を感じずにはいられないのだ。

 ほら吹き男爵を抹殺した世界、それは驚くほどの色彩のない退屈な世界だというのに。
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