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『監督失格』オナニー晒す人と凝視する人

――しあわせですか?
――うん、しあわせですね
かつての恋人との思い出のシーンを捨てたとき、平野勝之の絶叫は「ほんとう」のものになった。

18歳でヤングマガジンのちばてつや賞を受賞し、将来を期待された漫画家であったにもかかわらず、突如漫画を捨て8ミリフィルム映画を自主制作しそれも処女作で受賞。その後AV業界に転じ、そこでも天才の名をほしいがままにしてきた平野勝之と、「最後の映画女優」といわれ、ピンク映画そのものだとも評された伝説的AV女優の故・林由美香(『たまもの』を観れば、その彼女の圧巻の演技に出会えます)との長年にわたる関係を描いたドキュメンタリー映画。『監督失格』という題名、また予告映像のくどいまでの平野の語り、そして庵野秀明プロデュースというふれこみから制作者達のオナニー感まるだしの作品と思いきや(確かにオナニーなのだが)、個人的には庵野秀明監督のエヴァンゲリオン以上に人類補完計画を完成させた作品であるという感想を持った。
このドキュメンタリー映画は誠実な作品である。「誠実」という表現がやや陳腐であるとしたら、敢えて「ほんとう」の作品という言葉で形容したい。そこには、ドキュメンタリーにありがちな撮る側の企みが全く感じられず、平野勝之をはじめとする、林由美香にまつわる人たちの「ほんとう」の気持ちがつまっているからだ。そしてこの「ほんとう」は、平野勝之と林由美香との長年の関係、そして平野という男の根底にある、「ほんとう」への渇望によって担保されているのだろう(実際平野のこれまでの作品をざっとみるだけで、彼の作品が突き抜けようとする葛藤によって成り立っていることが分かる)。これらが非意図的に積み重なり、そして最後に庵野秀明の作為によって、この映画は「ほんとう」の作品となり得たのだ。
この映画のあり方を象徴的に位置づけるのは、やはり林由美香の遺体を発見してしまった平野と林由美香の母親が狼狽するシーンだろう。私生活すらもカメラに差し出していた平野は、作品の前後すべてをカメラにおさめていたため、林のアパートへの訪問、彼女との連絡の取れない不審さをも撮り続け、ついには遺体発見までを偶然にも記録してしまったのだ。もちろん、林の遺体が出てきた時点でカメラを止めるのが普通だし、人としてはそれが当然だ。しかし平野と林の長年の関係は、平野がカメラを止めることを許さなかった。彼らにはその必然があったのである。それは、映画の題名でもある「監督失格」キーワードに由来する。この言葉は監督の自意識過剰などではなく、林由美香がドキュメンタリーAV『わくわく不倫旅行』で自分と平野の恥部(しかし最も重要な)を撮り逃した監督に対し当てつけられたもので、いかなるときもカメラを回すべきであるというプロ意識からくるこの林の言葉は、この映画を「ほんとう」のものにし続ける遺言となった。この言葉を以てして、後半(前半は『わくわく不倫旅行』の総集編となっている)、まったく登場のないはずの女優は常にその存在感をフィルムに染み込ませるのである。この言葉が、林由美香の死後、作品を撮れなくなっていた平野をつき動し、林由美香の母が自分の娘の死を記録した映像を世に出すことを認めさせたのだということを考えたならば、なんと不謹慎な幸運の結果にして、映画史上類をみない適切な題名だろうか。
この映画は、最愛の女性と最高の被写体を失った男・監督の、喪失と再生の物語だ。ラストの平野の喪の作業は何とも単純で稚拙だが、数時間の限りなく「ほんとう」のこの映画を観た後、観客は平野の激走と咆哮によって、「ほんとう」の人類補完計画を目の当たりにするのである。
『わくわく不倫旅行』でウンコを食べちゃう林由美香の可愛さ(今作ではそのシーンはカット)、同作で大自然に囲まれた道路の真ん中でオナニーに興じる平野の愛らしさ(やっぱりカット)、由美香ママの寝た子を殺すような目つきの美しさ、アスファルトに染みる優しい雨を撮ったカンパニー松尾の涙の温かさ(このシーンが実は一番好き)、この映画の鑑賞後、AV業界への色眼鏡はあなたから強制的に取り外されることだろう。


しかし、どうも庵野秀明という男は相変わらず他人のオナニーに興味津々のようである。※相原コージ『一齣漫画宣言』あとがき参照

http://k-shikkaku.com/
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『つみきのいえ』 語ってしまうのも野暮ですが

現存する国家の幾つかの枠組みが融解し、言語が今とは違う意味を持つだろう200年後、しかしその200年後の人類がこのアニメを観て感涙する。2009年度アカデミー賞短編アニメ部門を日本映画で初めて受賞したこの『つみきの家』は、きっとそんな映画ではないだろうか。
物語は恐らく未来の地球、水位が上昇し続け人々が自分達で家を積み木のように重ねながら生活する世界で、一人の老人がパイプを水底の床下に落としてしまう。老人はパイプを拾うために潜水服を着込み積み重ねられた自宅の下へ下へと潜っていくのだが、それは単なる潜水ではなく、一人の人生を振り返る旅であった。老人が潜りながら浸水してしまった自宅の部屋の数々を見ながら思い出される風景は、時代、人種を問わず普遍的に私達の琴線に触れるものだろう。この、たかだか20分の作品に人の全てがあるとさえ思える。地球環境が激変し国家という大きな物語が崩壊したその後、それでも尚も残る最も人にとって価値のあるもの、ほんの20分の作品にそれが描かれているのである。
やさしい鉛筆のタッチとささやかなピアノの旋律、しかし目と耳には雄弁な20分だ。決して時間をとるわけではないので、機会があれば是非観ていただきたい作品である。


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『ブルーノ』 サシャはケンブリッジ卒のエリートです

悲劇が共感性を促すのならば、喜劇は客観性を促すものだろう。中世ヨーロッパ、王が自らの横に道化を置いて自身を冷静に見ようとしたように、特に権力者に対して笑いは効果を発揮する。では、現代においての権力とは何だろう。そして道化は何に寄り添えばいいのだろうか。まず政府が権力であることは間違いない。しかし、それだけではないはずだ。例えばマスメディア、多くの人々をアジテートし動員することが可能なこれも一つの権力だ。そして世論や民意も、民主主義国家であれば権力であるといえる。それだけではない、何らかの力をもって人を押さえつけることが出来るものならばそれは権力なのである。だとしたら、今我々が生きているこの世界には何と多くの権力がひしめき合っていることだろうか。言ってみれば人権だって人を殺し得るのだ(人道支援の下、どれだけの悲劇が起きているか想起していただきたい)。そんな世界ならば……現在に生きる道化はその全てに喧嘩を売るしかない。そして映画『ブルーノ』でゲイのオーストリアのファッションリポーター、ブルーノを「演じた」サシャ・バロン・コーエンは、その果敢なる挑戦をやってのけた現代の道化なのである。ちなみにブルーノとはサシャが前作『ボラット』のように、テレビ番組で演じている人気キャラクターの一つである。内村光良がミル姉やハンサム侍で映画を作るようなものだと考えていただければ良いだろう(やや古いか)。
彼は喧嘩を売る。マジョリティにはもちろん売る。ついでにマイノリティにだって売ってみせる。方やゲイカルチャーをバカにし方やヘテロの観衆を発狂させ、ユダヤ教徒とイスラムを仲直りさせるためにイスラエルにまで飛び「争いはやめてキリスト教徒を討ち殺しましょう」と、ユダヤ教の学者(ちなみにサシャは敬虔なユダヤ教徒である)とイスラムの指導者(ヒンドゥー呼ばわりするけど)の前で歌い彼らを白けさせる。それだけでは飽きたらず、ボランティア活動をステータスだと揶揄するし、アフリカの子供をiPodとガチで交換してみせる。結果彼は逮捕され、PLOの武装組織による声明文を受けさえしたのである。私達はそんなブルーノを笑う、苦笑いし冷笑する。しかし、よくよく考えてみればその笑いの方向は、決して彼に向けられているものではないことに気づかないだろうか?彼は道化である。そして彼が寄り添っている権力者は、他でもない私達なのだ。平然と私達が行ってきた行為、考え方が、笑いを介すことで何と滑稽なものとなるかということをサシャは示し、そして改めて客観的に見直す機会を与えてくれているのである。前作からの文明批判という指摘は今作でも当てはまるだろう。私達は生命を尊いと思う、弱者は救われなければならなず、戦争は悪だと考える。しかし救わない、私達の多くは救わないし行動もしない。リモコンでチャンネルを切り替えるかのように気持ちを切り替えて日々を生活する。悲しみ忘れる私達、笑い思い起こさせるブルーノ、そこにどんな違いがあるだろうか。いや、意識だけが高くしかし救おうとしないのならば、アフリカの子供を一人でも(iPodで)貧困から救い出したブルーノの方が、まだ神の祝福を得られるのではないだろうか。
映画はブルーノがボランティア活動に精を出し、またセクシャルマイノリティに属するアーティスト達とコラボレートする盛大(?)なフィナーレで幕を閉じる。そう、少なくとも「行動を起こしている」人々は彼を支持したのだ。


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『悪人』 俺が上京して出会ったビッチは大体福岡出身

「俺に代われ妻夫木!俺が殺す! よっしゃ!やったぜ!くたばりやがったこの糞ビッチめ!心配すんな目撃者なんていないんだ、さっさと崖から落としてLet's I☆N☆ME☆TU!糞なだけに結構早く腐葉土になるかもしれないぜwww」
隣に妹がいなかったらそう叫んでしまいそうな程に、妻夫木聡が満島ひかりを絞め殺そうとしたシーンは爽快だった。というよりも満島のビッチっぷりが輝いていた。きっと劇場では観客の殆どが彼女の死を願ったのではないだろうか。確かに存在するのだ。満島が演じたような、法も道徳も破ってはいないが、何らかの形で悲劇に見舞われてほしいと周囲が願うような女が。勿論深津絵里の演技もモントリオール世界映画祭最優秀女優賞を受賞するだけのことはあった。どう考えたってこんな美人が福岡の片田舎から出ようともせずに地元でパートだなんで有り得ないのだが、彼女はその演技力で見事に土地に縛られ鬱屈した女のオーラを身に纏うことに成功したのだから。それ以外にもどこか見覚えのある、ただそういるだけで何らかの不幸を予期させるような田舎の老婆を演じた樹木希林、そして満島の父の含蓄オヤジを演じた柄本明は、彼の深い悲しみを含んだ演技で、あれ程観客に憎まれていた満島のイメージを刷新する程だった。物語が進むにつれ、観客は満島の不幸を願ってしまった自分に気まずい思いをし、悪人とはなんだろうと問わずにはいられなかった筈だ。
加えて、カメラが切り取った閑散と鬱屈した福岡の風景によって、観客は各々が何らかの悲しみを背負っていることを、そして最後に妻夫木と深津が逃避行の先に逃げ込んだ灯台の、世界の果てであるかのような風景で、彼らに逃げ場がもうないのだということを映像で理解するのである。
演技と映像で観客を魅せた久々の王道邦画。観客動員数と数々の賞に恵まれ、映画にとっては勿論、日本映画界にとっても幸福な作品だったのではないだろうか。


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