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肩幅広ッッ!/『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

天才は時代を選ばない。如何に不遇の時代を送ろうと、例えその肉体が滅んだ後であろうとも、必要な時、必要な場所で、必ずその名声は地底深くから何度でも沸き上がる。本書の主人公木村政彦は、そう思わせるほどに強烈な天才だった。

木村政彦、この名前を知ってる人はどれほどいるだろうか?天覧試合を制し、公式戦では15年以上無敗を誇り、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで謳われた不出世の柔道家である。柔道以外のストリートファイトやバーリトゥード(なんでもあり)、柔術の試合にも勝ち続ける木村の名を、数々の資料に目を通し、自身も多くの武道家との親交がある板垣恵介(バキシリーズ・『餓狼伝』作者)は、「伝説と実績を兼ね備えた上で日本格闘技史上最強の男」として挙げている(ちなみに、範馬刃牙の祖父・勇一郎のモデルは木村政彦である)。同時代に生きた人間の誰もが、あの極真空手の創始者・大山倍達でさえ、木村の最強を認めた程だ。さらには逸話にも事欠かず、戦前は一日三時間に睡眠時間を削ってまで稽古し、戦中は気に食わない軍の上官の寝込みを襲い、戦後には日本人に暴行を働くGHQの米兵を四人同時に始末し、雇い先の社長のお気に入りのホステスを社長の隣室で手込めするなどと(関係者から「書かないでくれ」と念を押されたエピソードすらあるらしい)、梶原一騎の格闘技マンガの数々の方が、むしろ史実に見えてきてしまうくらいだ。しかし、その数々の実績と伝説にもかかわらず、彼の名前は戦後長いこと抹消されていた。その原因はある程度の格闘技ファンなら周知の事だろう。そう、あの1954年の力道山との悪夢の一戦だ。

当初引き分けという約定だったプロレスで、力道山は突然木村に真剣勝負を仕掛け、当時の視聴率が100%という、まさに全日本国民が見守る中で、木村をリング上で血祭りにあげたのだ。そしてその事件以来、木村の名声は地に落ち日陰者として戦後を生き(木村が逝去した際、マスコミは木村政彦の名を「力道山に敗れた男」という扱いで紹介した)、一方で力道山は戦後の復興を象徴するヒーローとしてその名を日本史に刻んだのである。柔道をやっていても木村政彦の名は知らない人間がいる反面、プロレスを知らなくても力道山の名は聞いたことがあるという人も多いのではないだろうか。だが、本当にあの一戦が木村の名を抹消したのか。本書を読み進めると、木村が歴史に埋もれた別の理由が見えてくる。それは、戦争と敗戦という混乱の中で、強さのみを至上とした男が、時代に翻弄され利用され続けてきた歴史だ。

あの時代、明日の見えない日々の中で、人々は生活のためには何にだって手を染めた。そしてもちろん木村も例に漏れず、生きるためにその歩みを闇へ闇へと進めていく。その足で行き着いたプロレス界という終着点、しかしそこで木村はプロレスの発展のための生贄になり、そしてヤクザ達の抗争のため力道山との再戦を諦めざるを得なくなる。古巣の柔道界ではGHQの目が光る中(事実、講道館以外の二団体は壊滅の憂き目にあった)、生き残りを模索する講道館柔道の歴史創作と業界内の政治的圧力により、プロ活動をしていた木村は闇に葬られ、さらに木村の最強を証明することができるプロレス・柔道の両関係者達も、木村と共にプロレス史と柔道史の闇へと消えていってしまうのである。強くあること以外は無頓着だった、そんな子供のように天真爛漫な男は、戦争と敗戦という、どんな強大な腕力をもってしてもあらがえない「禍」に飲み込まれ、戦後の瓦礫とともに地べたに埋もれていってしまうのだ。だが、本書は一人の格闘家の遍歴のみを描いているのではない。切腹の練習をする(しかも実際に刺す通す)までに、戦前の武道家の標本であるような木村政彦が、如何にして戦後の消費社会、メディア社会の寵児である力道山に負けたのか。戦前は天覧試合という、オリンピックよりも重要な試合で優勝し国民的英雄となった男が、妻の病気の治療費を稼ぐために金策をしながら堕落していく様と、戦後に朝鮮人差別と戦いながら、常軌を逸した執念で成り上がろうとした力道山の生き方、そしてその二人の邂逅は、日本人の精神世界における昭和史の縮図そのものである。また本書で言及されているように、格闘技界があの混迷の時代になおざりにしてきた課題(プロレスはショーなのか、柔道は武道なのか)が未だにしこりを残している事は、日本が戦後に多くの問題を先送りにしてきた点にリンクするのも興味深い。

だが、こういった木村政彦の破天荒さや、格闘技史から見た日本史というダイナミズムと同時に、著者・増田俊也の木村政彦への漲る偏愛も、本書の魅力の一つだといえるだろう。客観的な立場には端からいないというほどに深い彼の木村への愛は、何より一八年という執筆期間と千点以上の参考資料が証明している。同じ大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した多くの作品と比べてもらえれば、その凄まじさが見て取れるはずだ。とはいえ、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」と木村贔屓をタイトルの時点から露見させていても、決して増田はアンフェアなのではない。木村贔屓が露骨にされることで、逆に読者は視点がぶれることなく本書を読み進めることができるからだ。増田は木村・力道山戦の検証を各界の専門家、識者に依頼するのだが、あまりの増田の熱気に押され、VTRを観た当初は真剣勝負に応じていたなら木村政彦が力道山に勝っていたと発言していた中井祐樹(総合格闘家)が、それから数年後、増田に偶然会った際にこう言って以前の発言を撤回するほどだった。

「実は、あのとき、増田さんがあまりにも真剣な表情で『真剣勝負だったら木村先生が勝っただろ』って言うので、つい肯いてしまったんですが……。本音を言うと、最初に打撃を効かされてしまっていますし、あの日の木村先生のコンディションでは裸だと体重差がある力道山相手に危ないと思ったんです。」〈本文より〉

増田は、インタビュアーが物怖じしてしまうくらいの気迫で発言を聞き出しているのだが、彼はその自分の客観性の欠如も包み隠さず書き記しているのである。その最たるものが、太田章(ロス五輪・ソウル五輪レスリング九〇キロ級銀メダリスト)とのやりとりだ。

太田「力道山は思ったより動きがいい。普段からよく練習していますね。逆に木村さんは明らかに練習していない」
増田「木村先生は最初から最後まで八百長だと思っているんですよ」
太田「いや、でもコンディションに差がありすぎます」
増田「でも木村先生は力道山に騙されただけなんです。木村先生はこの試合、すごく悔やんでいたんです。亡くなるまで悔やんでいたんです」
太田「そんなに悔やむんだったら最初からこんな舞台に上がらなきゃいいじゃないですか」
増田「約束を破られたんです」
太田「だから、後になって悔やむんなら、こんなくだらないリングにあがらなきゃいいっていうことですよ!」〈本文より〉

しかし増田は食い下がる。何としても木村政彦の名誉を取り戻さんがために。

―私は話し続けた。木村が晩年、最強の愛弟子岩釣兼生にプロレス入りが持ち上がった際、セメントマッチを想定して、裸での打撃ありで過酷なマンツーマントレーニングを積ませたことを。
〈中略〉
「練習が終わると二人に銭湯に行ったんです。で、木村先生が岩釣先生の背中を流しながら『勝てよ、絶対に勝てよ』って言って……」〈本文より〉

既にそれはジャーナリストとしての、作家としての言葉ではなかった。木村の亡霊に取り憑かれた人間の、説得ですらない、悲痛な哀願だった。ついには増田の木村に対する想いに根負けし、太田は以下の言葉でその場を去る。

「わかりました。『太田ははじめから真剣勝負なら木村さんが勝っていた』と書いてください。太田章の名前を使ってください、『木村さんが勝っていた』と」〈本文より〉

増田は、あえて自らの醜態を読者に晒す。まるで、恋い焦がれた自身の英雄、木村政彦が戦後そうして生き続けたのをなぞるかのように。そして、柔道出身である自分の英雄の暗部を探り、自らの恥部を晒しながら増田は一つの結論に辿りつく。それは、まさににじり出すような言葉だった。

―私は悔しい。ずっとずっと悔しかった。力道山を許せなかった。今だって悔しい。
〈中略〉
―だが、木村の魂はさまよい続け、介錯を待っているのだ。ならばその魂に柔道側から介錯するしかない。
―木村政彦は、あの日、負けたのだ。
―もう一度書く。
―木村政彦は負けたのだ。〈本文より〉

もちろん、違う側面だってある。新日本プロレスの元レフェリーで、すべてのプロレスには台本があると告白した『流血の魔術、最強の演技ーーすべてのプロレスはショーである』の著者、ミスター高橋はプロレス側から力道山のブック破りを本書で指摘した。プロレス関係者からすれば、ブックがあるからこそプロレスが成り立つのであって、それを破った方が勝ちだとするのは、プロレスという競技は反則したものこそが勝者となってしまうことになる。しかし、それでも増田は、それらの弁護が何の救いにもならないと、六十年近く経った現代において、敢えて、改めて力道山の右手を取り、勝者として掲げたのである。その決断がどれほどの苦渋のものであっただろうか。本書の一頁一頁に溢れる木村への愛が伝わる故に、ひたすらに切ないものがある。下手に中立を保つ書き手ならば、この境地に達することが無かったであろう誠実さに基づいた結論だといえる。

しかし、本書には救いも残されている。それは今も生き続ける女達の物語だ。木村政彦の妻斗美は、木村に惚れ抜き今でも夫が誰と比べてもハンサムだと言う。本書に登場する木村の師匠・牛島辰熊の妻和香は、百歳を過ぎた今でも夫を誇りに思い、木村の弟子・岩釣兼生の妻信子も、いかに自分達が愛し合い、そして幸せだったかを語る。さらに、宿敵・力道山の妻敬子も「今度生まれ変わっても彼と結婚します」とまで断言するのである。激しく昭和を生きた男達の伴侶は、平成の今もその想いを胸に生き続けているのだ。文豪・川端康成が、「誰か一人でも幸せにできたのなら、それは甲斐のある人生だ」と述べているが、そう考えるならば、彼らはおしなべて人生の勝者だったのではないだろうか。そして私は同時にこうも思うのだ。これほどの苦難と試練を、いったい超人木村政彦以外の何者が背負い得ただろうか。むしろこの宿命によって、木村の人生にはより一層深く、魅力的な造形に刻み込まれているのではないかと。なによりも、こうして木村政彦の人生が現代の我々の胸に、記憶に刻まれること、それこそが彼が勝者であることの証左に他ならないのではないか。

かつてこの国には、世界が羨むほどの眩しい男達がいた。これはハリウッド映画の煽りではない。事実、戦前にはそんな男達がいた。木村政彦やその師匠、そして弟子とライバル達、非科学的としか思えないような荒行が、精神が不合理を合理化すると信仰されていた時代が彼らを作り出した。あまりもフィクションめいた本書だが、最後の二頁、板垣恵介や梶原一騎の現実離れした漫画が、実はちょっとした脚色程度なのではないかと思えてしまうくらいの、さらなる衝撃の事実が止めに用意されている。

―岩釣の死に目に会えず、「書かないで下さい」と言われたことに最期にOKを貰えなかったが、考えが変わった。
―妻の岩釣信子から電話をもらったからだ。
―岩釣が痛みで朦朧としながら綴り続けた闘病日誌に〈マヅダトシナリ〉とカタカナで書かれ、その下に私の電話番号が書いてあったという。これは岩釣が書いてもいいと、いや書いてくれという意思だと思った。そして天国の木村先生も書いてくれといっているのだと思った。
―だから書く。
―木村の名誉のために、岩釣の名誉のために、拓大の名誉のために、そして全柔道家の名誉のために。
〈本文より〉

頁をめくる手が震え、活字を目で追う毎に息が細くなる闇の昭和史。読者はその時、現実がフィクションを凌駕する瞬間を目の当たりにするのである。


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

  • 作者: 増田 俊也
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/09/30
  • メディア: 単行本



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