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『任侠ヘルパー』韓流リメイクなら監督はヤン・イクチュンで

 平均視聴率15%を記録し国際ドラマフェスティバルで優秀賞を獲得した、質と人気に裏打ちされたTVドラマの映画化なのだが、今ひとつ何かが足りない作品だった。こんなことはいちいち書く必要もないのだけれど、裏を返せばこの『任侠ヘルパー』はその今ひとつでもっと話題にもなっていただろうし名作の呼び声も高まっていたはずの作品なのである。
 草彅剛の演じる極道の翼彦一は刑務所での刑期を終えた後、入所前に貸しのあった独居老人・蔦井(堺正章)のツテで辺境の暴力団極鵬会の組員として貧困ビジネスに手を染めていくのだが、この貧困ビジネスのサクサク感というか、老人たちを次々に借金まみれにしてホーム送りにしていく彦一の外道的手腕には、居心地は悪いながらも思わず観客を笑わせずにはいられない絶叫マシーンのような爽快感があるし、欺瞞に陥った「先進的な」医療施設もビジネスヤクザも弱者を救わない中、彼らを助ける主人公の原理として任侠道を置いた点では、この作品は欧米式のハードボイルドである根拠無き(かつ悲愴感の漂う)責任感を日本で描くことに成功しているといえるだろう。『任侠ヘルパー』という題名のいかがわしさの反面、本作は実は正統派のハードボイルド映画なのである。全体的には、貧困と高齢化社会問題を何とかギリギリの嫌悪感で押さえエンタメ化している点において非常に優れていた。安易なTVドラマの映画化という先入観で毛嫌いしてはもったいない作品だ。
 しかし、タチの悪い「笑い」もヤクザの描写も地方の貧困の閉塞感も、いまいち突き抜けることができていなかったことが作品の足をひっぱていたように思える。草彅剛のチンピラぶった演技も空回っていたし、終盤はグダグダになって物語の「答えが出せていない」にもかかわらず、爽やかさを無理に演出しても消化不良で後味が悪くなってしまう。北野武のようにヤクザを描くことがもはや「笑い」でしかありえないのだという思い切りがなく、また李相日のように貧困にもっと閉塞感を出して描ききることができなかったことが非常に残念だった。これらの転じ方一つで、この作品はもっと大きく化けたに違いないのだから。
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